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円谷英二(須賀川市)

円谷英二(須賀川市)の写真

福島県の石川郡玉川村と須賀川市にまたがる福島空港。この空港に行くとウルトラマンや怪獣たちが出迎えてくれます。なぜ、空港にウルトラマン?その答えは、この地に生まれた「永遠に大空への夢を持ち続けた少年」にあります。今回は須賀川市が生んだ特撮(特殊撮影技術)の第一人者、円谷英二を紹介します。

320tsuburaya.jpg■大空へのあこがれ

円谷英二は1901年(明治34年)、須賀川町(現在の須賀川市)で醸造業を営む旧家「大束屋」に生まれました。小さい頃から創作に対する関心が高かったようですが、この時代発明された飛行機の登場が英二少年の心をすっかりとらえました。土蔵の一室に籠り、親戚からもらった飛行機が写った写真をもとに、木製の精巧な模型をいくつも作りだし、飛行士になる夢を募らせました。

■飛行学校から映画界へ

尋常高等小学校卒業後、羽田の日本飛行学校に入学しました。しかし、学校は設備やカリキュラムも十分でなく、唯一の教官も墜落事故を起こし亡くなってしまったため閉鎖となりました。その後、東京工科学校(現在の日本工業大学)、電機学校(現在の東京電機大学)で学ぶ傍ら、玩具会社で働いていましたが、酒席で偶然知遇を得た、日本の特撮の草分け的存在である枝正義郎の誘いにより、1919年(大正8年)、映画界入りしました。一時期、兵役を機に帰郷したものの映画の夢を捨てきれず、再度上京。飛行学校の経験も活かし、戦争映画などで特撮の腕を振るうようになりました。

■失脚、そして再浮上

第二次世界大戦終了後、英二は戦争映画の製作に荷担したとのことで、公職追放指定を受け一時公式活動ができませんでしたが、1952年(昭和27年)の指定解除後は、再び精力的に活動を始めました。そして、1954年(同29年)に公開となった東宝映画「ゴジラ」や、自らが立ち上げた会社、円谷特技プロダクションが制作した「ウルトラQ」、「ウルトラマン」は空前の大ヒットとなりました。
 「ウルトラマン」最終回では、『宇宙へ帰って行くウルトラマンを惜しんで夜空を見上げた子供たちがいた』(鈴木和幸著・「特撮の神様と呼ばれた男」・アートン)と言われるほど、日本中の子どもたちに夢を与えたのでした。

DSC_0114.jpg■永遠に飛び続ける英二少年

しかし、英二自らはその成功に満足していませんでした。いつもストイックに技術の向上を考え、常に海外の作品との比較で捕らえていました。こういった英二の姿勢が日本の特殊撮影の技術を世界水準に引き上げたと言っても過言ではありません。英二は、死ぬ間際「ニッポン・ヒコーキ野郎」という映画の企画を考えていました。最期まで飛び続けることを夢見ていたようです。 そして現在、英二の故郷、須賀川市にある福島空港からは毎日飛行機が発着しています。今も英二は故郷の空を飛んでいるのかもしれません。

取材協力・・・円谷誠氏、鈴木和幸氏(株式会社セルクル代表取締役) 
参考文献・・・鈴木和幸著『翔びつづける紙飛行機』(歴史春秋社)、『特撮の神様と呼ばれた男』(アートン)

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ウルトラマンと怪獣たちがいる福島空港